学校づくり 2018年11月16日

2018年秋、本城と岩瀬の現在地

かぜのーと編集部
投稿者 | かぜのーと編集部

2018年11月16日

2018年7月28日、Facebookに本城はこんな投稿をした。

軽井沢風越学園は「捨てる」「減らす」が足りない。
全然足りない。
だいたい、「風越が成功するわけがない。大失敗する。あんなの大嫌いだ。」という人に出会わない。そういう声が届いてこない。
みんながなんとなく「いいねー」というものが、結果として、すっごいワクワクしたものになるわけがない。
なんとなくつまらんもんになる予感がしてきている。
もっと破壊していく、ぶっ壊していくエネルギーがないと。

(ちなみに、これに対して岩瀬は、「な。」とコメント)

その約1ヶ月後の8月26日、カリキュラムを検討する自主研修会を経て、岩瀬も違和感が明確になる。

ホームグループはどんな構成にするのか、何人の子どもを何人のスタッフが見るのか。
そういうことを考えてもなんだかわくわくしない。
子どもは、事前設計したように育たない。
自分が一教員だったら、ゼロから学校をつくれるこのチャンス、もっと自由にやりたい。
「学校」をつくろうとしてるのが、なんか違うのかも。

実務的に決めなければいけないことが増える一方で、そもそも何を目指していたのか、どんな学校なのか。その根っこを確認せずに、都度の判断をしていることに危機感を感じた岩瀬は、あらためて根本を吟味する時間を持ちたいと本城に相談。本城は、2人で話すのもよいが、誰かに聞いてもらいながらもいいのではと、風越コラボのファシリテーターをつとめる古瀬正也に見届け役を打診した。

そして9月14日。岩瀬と本城、そして古瀬は羽田空港内の会議室にいた。

(岩瀬)ぼくが今考えてる学校像って、あくまで手が届く範囲のこと。学びの個別化や協同化、プロジェクト化の融合は、多少の苦労はあっても、できそうだなという感じがあって。でも、今の延長線の中でやれることが、本当にこれからの子どもの必要な場所なのか。風越のカリキュラムを決めるうえで、時間割りやホームグループを決めるって、「学校」に向かってる。確かにぼくは学校をつくろうとしてるんだけど、今までの「学校」に向かってる感じ。これからますますいろんな決断が迫られる前に、もう一回、何をしようとしてるのかを考えたい。

(本城)具体的なことを考え始めると、つい学校の常識に、ぐぐっと戻ってきてしまう。たとえばN高校は、僕が引っ張られている常識とは、はずれたところにいるなーという感じがする。「新しい普通」を目指すといってたけれど、進めていくうちに普通を意識しすぎて、新しさが失せているんだよな。このつまらなさは、一回壊したほうがいいとは思ってるけど、どう壊していくかっていうときに、なかなかまだ手がかりが見つかってない。

そんな言葉から始まり、熊本へ向かう岩瀬の飛行機の出発まで約4時間、あらためて本城と岩瀬はこれから何をしようとしているのかについて、やりとりした。

  • 当初は公設民営の学校づくりを検討したこともあって、公立校への波及効果は意識しているところがある。教育委員会や自治体から公立校でやるにはどうすればよいか?、中山間地域における小規模校のこれからのモデルになるんじゃないかと期待されれば、それに応えたい気持ちもあるし、それももちろん意味はある。ただ、そうやってできた学校の10年後は、果たしてワクワクするものになるのか。
  • 「学校をつくる」と考えると、どうしてもコントロールしたい気持ちが働いて、エントロピーが減少する方向に向かってしまう。そのほうが予測が立つし、説明もしやすいが、つまらない。もっとエントロピーが増大して、ぶわーっととっちらかるような感じにするとどうか。誰が何をやってるかわからなくて、やりながらカリキュラムらしきものが生まれる。ただ、そもそもそういうことができるのか怖いし、理解されにくいだろうなというのもある。
  • 学校でなんでも自由にやったらいいよね、というのは全然思わない。「本物」は核。たくさんの「本物」に出会って、子どもたちが、とことん没頭したり、こんなことができるようになりたい、思ったより自分ってできるかも、明日も続きがやるのが楽しみだ、といえる学校がいい。子どもたちの内側から湧いてくる動機と外側からの働きかけのバランスは重要。
  • たとえば、最初の1学期は教科の授業を全くしない。ホームグループも担任もおかない。システムも使わない。連絡帳も行事もない。それくらい覚悟を決められると、なにかが起きる感じはする。子ども一人ひとりのスイッチが何かがわかってからじゃないと、カリキュラムはできないんじゃないか。カリキュラムは、あくまで足跡。
  • 学習指導要領をマップと捉えると、やらねばならないという発想になるが、やりたいことを発展させるための道具箱だと考えると、ちょっと変わる。その道具を持って自分のやりたいことをやる。もっと進みたくなったら、新しい道具が必要。道具によって、やりたいことやできることが拡がっていく。大人は、幼稚園、小学校から高校まで道具が何があるかをおさえていかないと、子どもたちについていけないかもしれない。
  • 今はあくまで既存の学校の枠の中で新しい形をつくろうとしている。それだと、たどり着けるところは延長線。そんなのできないでしょ、というところを突破したい。一旦ふりきって純粋に理想を追いかけちゃって、そのあと多数にひらいていくとどうか。つきぬけなくて終わるのはつまんない。どうせ失敗するなら派手に失敗したほうがいい。最初は全然違うと思われたとしても、最終的には、公教育にもつながっていく。
  • 子ども本人のいる場所が学び場であって、学んでさえいればどこでもいい。学校はあくまで人が集まる一つの場でしかなく、オンライン含めて外と繋がりながら学びのハブのような位置づけではないか。
  • 公立校が変わるための取り組みをサポートしつつ、風越はその先の挑戦校ということではどうか。公立校が次のステップにいくための先を示すのがラーニングセンターである風越という立ち位置。本当の意味での挑戦校じゃないと意味がない。

子どもたち一人ひとりの力を信じ切り、まだ誰も見たことのない景色を見てみたい、もっと突き抜けよう、そんな方向感だけを確認してこの日は終了。

その後、本城は量子論や身体論の本から、岩瀬はティール組織やコミュニティデザインの本からそれぞれヒントを得る。

それから約3週間後の10月3日、Webリニューアルに向けた打ち合わせで、本城の描いた図がこちら。上が、今まで考えていた風越のイメージ。同じ教室の中に同学年の子どもたちが凝集性の高いやり方で教わる既存の学校スタイルから、少し教室や教科の枠組みを大きくしてゆるめただけ。基本的な学校の枠組みからは、あくまで逸脱していなかった。そうではなくて、目指すべきは、もっとぐちゃぐちゃで、一見すると何が起こっているかわからない状態なのではないか。

「学校をつくる」という発想をやめよう。「子どもが育ち、暮らす場は、どんな場なのか?」から問いを始める。そして、その一つの機能としての学校と捉えたとき、どんな実験ができるか。大人の設定の中で、子どもを押し込めて育てるというのは、やっぱり無理がある。まず当事者である子どもと一緒に考えたいし、地域の大人たち、関心をもってくれている人たちとも一緒に考えたい。そのためにまずは、学校づくりのプロセスを変えてみよう。「わたしたちワークショップ」を再開し、たくさんの人の力とつながりながら、学校ではない何かを模索してみよう。それって、ラーニングコミュニティ?、はたまたラーニングラボ?なんか、どちらもちょっと違う。何が生まれるかわからない、そのわからなさを楽しんでみよう。

そんな現在地の2018年秋です。

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かぜのーと編集部です。軽井沢風越学園設立準備のプロセスを多面的にお届けしたいと思っています。辰巳、中村、三輪が担当。

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