遊びと学び 2019年1月24日

軽井沢風越学園の学び(1)「〜したい」という情熱から出発する

岩瀬 直樹
投稿者 | 岩瀬 直樹

2019年1月24日

軽井沢風越学園のカリキュラムの大枠を少しずつ書き綴っていきます。

子どもの学びについて考える時、ぼくはつい、「学校がないと人は学ばない」という前提で考えてしまいがちです。でも、学校があるかどうかにかかわらず、人は常に学んだり、成長したり、つくり出したりしていく存在です。改めて書いてみると当たり前なのに、学校教育に長く関わってきたからか、知らず知らずのうちに「学びとは学校でするもので、学ぶことは既に教科書で決まっている」という前提で考える癖がついてしまっていたのです。

一方で、この考え方は、結構一般的なのかもと思ったりもします。ふと思い返してみると、担任時代、「先生、もっと宿題を出してください。宿題がないとうちの子全然勉強しないんです」と保護者から言われることがありました。そもそも、学びの内容や理解度にかかわらず一律に授業を受けなければならない、45分間きちんと座っていなければならない、等のルールも、人は強制しないと学ばないと思っているからではないでしょうか。そう思うとかなり根深い問題な気がします。興味があれば、没頭していれば、結果としてそこに座っているかもしれないのに。逆に立ち歩いたりしている方が学びやすい、という人もいますよね。

繰り返しになりますが、学校があるかどうかにかかわらず、人は常に学び、成長していく存在です。ではその時のエネルギーのようなものはなにか。

ぼくは、情熱だと考えています。「〜したい」という気持ち。

あの木に登ってみたい。今日見た虹のことを友だちに手紙で伝えたい。あの虫はなにを食べているのか知りたい。自分が入るくらいの大きなシャボン玉をつくってみたい。蚊の大量発生の問題を解決したい。宇宙の誕生にせまりたい。こらぼジャーナルでのゆりなのように「○○を再現したい」。日々の暮らしや出会いの中に「〜したい」はたくさん生まれているはずです。軽井沢風越学園での学びは、その情熱から出発したい。

「〜したい」という情熱の根っこを耕すベースは、なんと言っても「あそび」です。かぜあそびの日に来ている子どもたちは、「〜したい」から出発して自由に遊ぶ。彼らはたくさんの試行錯誤の中で、たくさんの不思議や探究の種に出会っているはずです。放課後の「風越こらぼ」の子どもたちは、自分自身やスタッフの声かけで生まれた問いを足がかりに、ぐぐっとなにかに没頭していく姿が見られます。

ワクワクドキドキしながら自由に探索する中で育っていくことの価値を、ぼくたちは、幼稚園はもちろん義務教育学校でも積極的に位置づけていきます。あそびは「〜したい」の源泉です。その源泉があるからこそ、探究が動き出します。学びとは、そもそも探究に他ならないのです。

軽井沢風越学園のカリキュラムでは、「〜したい」という情熱や自分(たち)の問いから出発し、教科横断的に学んでいく探究の時間をど真ん中に据えます。

一人ひとりの探究にも、きっと得意や特徴があるはず。そういった得意や特徴を大切にしながらも、まだ取り組んだことのないテーマ、考えたことのない課題、自分の中からは生まれてこない方法、協同することでの新たな発見、などとの出会いも生まれる12年間になるよう、多様な探究を経験できるカリキュラムにしていきます。こらぼジャーナルのゆりなの探究は、自身の関心から出発した創造型の探究と言えます。毎日探究の時間があれば、さらに「知りたい」ことや「つくりたい」「解決したい」「解明したい」ことが生まれ、深まっていく予感もします。
2020年4月から、こんな学びの姿があちこちで日常的に起きている、子ども一人ひとりが時間を忘れて没頭している、そんな情景が広がるといいなと思っています。

なぜ軽井沢風越学園では探究をカリキュラムの中心に据えるのか。探究を支えるベースの力やそれらの学びに伴走する大人の役割とは何か。これから少しずつ紹介していきます。

岩瀬 直樹

投稿者岩瀬 直樹

投稿者岩瀬 直樹

幸せな子ども時代を過ごせる新しい学校を創ります。私は公教育の可能性を信じています。子どもが持つ学ぶ力を信じています。教員の力を信じています。それらが最大限発揮される学校とはどのような形でしょうか。これまで学級で実践してきたことを出発点に、子どもも大人も「こんな学校に通いたい」「こんな学校を増やしたい!」とワクワクする学校を、一から創っていきます。

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