放課後まなび場「風越こらぼ」第2期がはじまります

軽井沢風越学園設立準備財団では、7月から小学校1~5年生を対象に放課後まなび場「風越こらぼ」を実施しています。

この「風越こらぼ」という名称は、学びが広がり深まっていく場を子どもたちや保護者の皆さんと一緒につくっていく場(collaboration laboratory、協同する実験の場)にしたいという願いを込めて名付けました。

以前のメルマガでも様子をお伝えしましたが、第1期は、「作家の時間」から始まりました。ひとことで作品を書くと言っても、一人ひとりの書くプロセスはさまざまです。場面の絵を描きながらイメージを広げる子、物語のプロットをつくってから書き進める子、一文書いては感情をこめて読み上げ、書いては読み上げと物語の世界に浸りながら、内容を吟味して書いていく子、それぞれのスタイルで、没頭して書いていくエネルギーは目を見張るものがありました。

夏休み明けからは、「作家の時間」に加え、子どもたち自身が自分のプロジェクトを考えて立ち上げました。木工で武器をいくつも作る子、積木遊びから発展して、積木を模した立方体作りから始まり、様々な立体を作り始めた子、すべて違う折り方でよく飛ぶ紙飛行機の開発を続けている子、それぞれの興味・関心に合わせたプロジェクトが生まれていきました。

一方で、なかなか自分のやりたいことを絞れず、その日に思いついたことを繰り返している子もいます。

今できることの範囲から少し飛び出して、「これがやりたい。そのために、どうしたらいいんだろう?」と考えるところから、探究が深まっていくと私たちは考えています。

そこで、第2期は子どもたちから生まれたプロジェクトのうち、スタッフが子どもたちと一緒にもっとどっぷりとひたりたいプロジェクトをいくつか選び、提案することにしました。長期的に同じプロジェクトに関わることで、見通しをもって、チャレンジングな目標設定をすることができるのでは。また、失敗や成功を繰り返し、その積み重ねがさらなる目標設定を生み、自分で学び方をコントロールしながら、学び深めていくことができるかも。そして、同じことに興味・関心がある仲間と一緒に活動をすることで、協同の学びが起こりやすくなるかもしれない。より深い探究活動を促すために、また「こらぼ」の名前に込めた意味を体現すべく、スタッフ自身も探究と試行錯誤を積み重ねたいと考えています。

活動の中で「こうしたい」「こうなりたい」というそれぞれのゴールをもち、その実現に向けて試行錯誤するプロセスを、みんなで一緒に探究していきましょう。

(日時)
2018/11/12(月)~2019/2/15(金)の平日16:30~18:00
※会場は15:30から開いています。
※土・日・祝祭日、12/24(月)~1/7(月)はお休みです。
※その他の休みは、月末に配布する予定表にてお知らせします。
※事前に見学も可能です。

(場所)
軽井沢町中軽井沢1丁目2 軽井沢風越学園設立準備財団事務所2階
Google Map 中軽井沢駅前駐車場向かい「美容室アヴニール」と表示されている建物です)

(対象)
小学校1年生〜小学校5年生

(費用)
入会費5,000円、参加費600円/回
※入会費は、初回参加時に集めます。第1期参加者は不要です。
※参加費は、こちらで回数を確認し月末に請求いたします。

(参加申込)
参加を希望される方は、11/5(月)までにページ下のフォームよりお申し込みください。

(運営・お問合せ先)
軽井沢風越学園設立準備財団 風越こらぼスタッフ k-colab@kazakoshi.jp


第2期のプロジェクトについて

第2期風越こらぼでは、次の4つのプロジェクトを実施します。内容や開催曜日を確認のうえ、プロジェクトに申し込んでください。2つまで申し込みできます。

月曜日火曜日水曜日木曜日金曜日
ことのは
メカ工作
探究の算数探究の算数
アトリエこらぼ
ことのはことのは
メカ工作

(1)「ことのは」〜言葉の世界を旅してみよう〜:月・木・金
このプロジェクトでは、何をどのように書くか自分で決めて書き進める「作家の時間」、読む本を自分で決めて読み進める「読書家の時間」を中心に活動します。

第1期風越こらぼ(以下第1期こらぼ)で「作家の時間」に取り組んでいた子の生の声を紹介します。「こらぼは、とっても楽しい場所。本物の作家さんや大工さんになって、自分で一から目標を立ててやっていくところ。出版とかもある。」(小3・Sくん)

そう、本物の作家さんになるのです。実際に作家さんがしているのと同じように題材集めからはじまり、下書き、修正、校正、清書をして、最後には出版もします。みんなの個性豊かな作品がつまった本「かぜつづり」を読んで、お互いにファンレターを送りあったりもします。ジャンルも多様。ゾッとするようなオリジナルのホラー、謎解きクイズ、自分が夢中になっていることについての紹介文、水そうの観察日記、ちょっと泣けちゃう詩。どれも読んだらきっとファンレターを送りたくなるはず。

第1期こらぼでは、「読書家の時間」も少しずつはじめています。本がある部屋で、いつも本を読みふけっている子たちの生の声を紹介します。「こらぼでは、誰にも邪魔されずに読みたい本を読みたいだけ読める。」(小1・Tくん)「こらぼは、本がたくさんあって読めるところ。ポップとか、自分の言葉で考えて書くのはいいと思う」(小4・Nくん)

第1期こらぼでは、本を読むだけでなく、自分が読んだ本を他の人にも紹介するために、オリジナルのポップや帯を作ったりもしています。ついつい手にとってみたくなるようなものがたくさん。


一人で楽しむことはもちろん、誰かと一緒にやるとまた違った楽しみ方があります。たとえば、一冊の本をそれぞれ読んで集まって、本に隠されたナゾや気になる登場人物についてみんなで話し合ったり…お互いの得意なことをいかして、一緒に作品を書いてみたり….おすすめの本を紹介しあって、新しい世界と出会ったり…。読書のいろんな楽しみ方を、みんなで体験していきたいなと思います。

もう一つ。「ことのは」では、読み書きだけでなく、そこから自由に表現することも楽しめます。たとえば、本の世界を絵に描いてみたり形にして再現してみたり、自分の書いた作品やお気に入りの本をもとに劇をしたり、音楽にしてみたり。みんな集まればきっと楽しいことがたくさん生まれるはずです。

「ことのは」で一緒に新しい世界を楽しみましょう!

(2)「メカ工作」〜動く!鳴る!光る!「〜したい」を実現しよう〜:月・金

第1期こらぼでは、写真のような作品がたくさん作られました。こうした作品が動いたり、鳴ったり、光ったりしたら面白いだろうなーと思ったことはありませんか。

このプロジェクトでは、コンピュータに「こう動いてね」ということを教えてあげること(プログラミング)で、作品が動いたり、鳴ったり、光ったりするようにします。作っていく中で「どうやってやろうかな…」と悩むこともあると思います。自分なりの方法で解決していきながら、作品づくりにチャレンジしていきましょう。「できるか分からないけど、こうしたい」、「こうしたらできるんじゃないかな」とあれこれ考えながらするものづくりは、大変だけど楽しいはず。

それぞれで違うものを作るだけでなく、ほかの人が作っているものを見てアイディアが湧いてきたり、相談してみたり、一緒に作品を作ったりすることもできます。

「こうしたい」という気持ちを大切にものづくりを楽しみましょう。

(3)「探究の算数」〜世界を算数のめがねで見てみよう〜:火・水
自分の身の回りのことを、文章や絵、造形、音楽などで表現することはよくあります。プロの作家や画家、音楽家たちの作品を、みなさんも読んだり、見たり、聞いたりしたことがあると思います。みなさんも、作文や絵、工作でやったことがあることでしょう。でも、このプロジェクトでは、それを算数で表現することにチャレンジします。???って頭の中にうかんだかもしれません。

左の写真は、ひまわりの花ですね。この花を、詩にしてみたり、絵に描いてみたり、紙で作ってみたり、歌にしてみたり…いろんなカタチで表現することができます。でもこれを、算数で表現してみるとどうでしょう。花の中にあるたねの並び方をよく見てください。なにかおもしろいことに気づきませんか? これは、数字を使ったあるきまりをもって並んでいるのです。もしかしたら、花びらにも算数で表現できる仕組みがあるかもしれません。

このように、自分の身の回りにあるモノやできごと、仕組みを算数で解き明かすことが、算数で表現するということです。そして、これができるようになるためには、「算数のめがね」が必要です。「えーっ!そんなのもってないよー」って思った人、だいじょうぶ、安心してください。この算数のめがねは、だれでももっています。今は、それに気づいていないだけです。

右の写真は、第1期こらぼで、ある2年生の女の子が作った紙工作です。これは、「四角いつみ木を自分で作ってみたい」という思いから生まれた探究プロジェクトです。四角い箱を、どうやって紙で作るか、あーでもない、こーでもないと失敗を繰り返しながら作り上げました。これ、実は、「立方体、直方体を展開図から作る」という算数的活動です。でも、本人はそんなこと思っていません。身の回りにあったつみ木を再現したいという遊びのような活動の中で、自然とそこにせまっていきました。私たちは、このように、本来的に「算数のめがね」をもっているのです。

このプロジェクトでは、世の中のいろいろなモノや仕組みを算数で考えたり解明したりします。また、実際に計算したり、作ってみたり、測ってみたり、実験してみたりします。みなさんは、どんな疑問や問いがありますか?

・浅間山の高さってどうやって測ったんだろう?私もやってみたい!
・虫の中に、数で表せるものがあるかなぁ?
・地球一周してみたいなぁ。地球をぼくの足で歩いたら、何日かかるかなぁ?
・自分の理想の家の模型を設計図から作ってみたい。どうすればできるかなぁ?
・五目並べの必勝法ってあるのかなぁ?

などなど…身の回りの世界には、たくさんの不思議があります。それらを、算数のめがねをかけて、解き明かしたり、実際にやってみたりして一緒に探究していきましょう。

(4)「アトリエこらぼ」〜オリジナルグッズをつくろう〜:水
家で余っている布や着なくなった服を使ってオリジナルグッズ制作をしませんか。いろんな布を組み合わせたり、縫い合わせたりしますが、このプロジェクトで使う布や服は色や形、手触りもいろいろ。もこもこしていたり、つるつるしていたり。「この布ではどんな作品が作れそうかな」、「どうやったら作りたいものができそうかな」、「この組み合わせはどうだろう」と想像して、計画を立て作ります。

第1期こらぼでは、フェルトを使ってリスのぬいぐるみを作り始めた子がいます。作り方が分からないので、ネットで検索するところから始めました。分からないなりに、自分なりに工夫をして作ってみる。うまくいくことだけでなく、うまくいかないこともあるけど、作りながらできることも増えたり「またやってみたい」「次はこうしてみたい」も増えてくるときっと楽しい時間に。

世界に1つだけのオリジナルグッズ完成を目指して、いろんなことにチャレンジしていきましょう。


風越こらぼ第2期申し込みフォーム

締め切りは11月5日(月)です。


参加者(お子さん)の情報

名字
名前
名字(かな)
名前(かな)
学校名(「軽井沢町立軽井沢中部小学校」のように市町村名を必ず入れてください。)
学年


保護者の情報

名字
名前
メールアドレス
電話番号
緊急連絡先電話番号


参加するプロジェクトテーマ(2つまで選択可能)

参加する場合の通所手段

個人情報取り扱いの対象について、承諾の場合はチェックをいれてください。



「<同じ>から<違う>へ、<分ける>から<混ぜる>へ」とはどういうことか?~第2回風越コラボレポート

8月25日(土)に第2回風越コラボを実施しました。今回のテーマは、『「<同じ>から<違う>へ、<分ける>から<混ぜる>へ」とはどういうことか?』。このテーマを深めるにあたって、岩瀬が真っ先に思いついたのが赤木和重さん(神戸大学大学院人間発達環境学研究科准教授)でした。赤木さんの魅力を少しでも多くお伝えしたく、関西弁のまま、お届けします。

会の冒頭、まずはどのような意図を持って「<同じ>から<違う>へ、<分ける>から<混ぜる>へ」と表現しているかについて、岩瀬からお話しました。

そもそも、「<同じ>から<違う>へ、<分ける>から<混ぜる>へ」って?

「自由と自由の相互承認の感度を育むこと」を土台に据えた学校づくりを考えるうえで、思考の手がかりにしているのが、”<同じ>から<違う>へ、<分ける>から<混ぜる>へ”、です。僕たちはつい、今までの自分の経験した枠の中で思考します。そうではなく、そもそもの枠組みを再構成する・問い直すための言葉として使っています。

学校教育には、効率と規律を原理として機能している側面があります。そのためには<同じ>であることが求められる。でも、教室を、そして子どもたちを<同じ>と見ることは、壮大なフィクションだと思うのです。

今までの学校の<同じ>とは、たとえば学習進度、学び方、学習内容、時間割、評価。では、これを<違う>に変えるということは、どんなことでしょうか?学習進度が<違う>とは? 子どもによって<違う>時間割りで学ぶには、どうすればよいのでしょうか。また、今まで何を<分けて>きたのか、<混ぜた>ら何が起こるのでしょうか。

これらを混ぜたら、どんな事が起きるでしょうか。たとえば異年齢編成、探究を核とした教科横断、森と校舎、協同探究者、学校づくりのパートナーなど様々な<混ぜる>軸がありそうです。どれも、やってみなくちゃわからない。

ただ、<混ぜる>とすてきな気がするけれど、そんな単純なことでもなさそうです。耳障りのいい言葉でスローガンになっては意味がありません。<違う>や<混ぜる>を大事にすると、学校の表向きのストーリーと対立することもあり、既存の現場ではけっこう苦労したり混乱したりするかもしれない。これからの学校は、本当にそれでいいのか?と再考しつつ、<同じ>こと、<分ける>ほうがよいこともありそうです。具体的な実践を重ねながら、これから試行錯誤を楽しみたいと思っています。

続いて、赤木さんの視点から見た<同じ>、<違う>、<分ける>、<混ぜる>についてお聞きします。

<同じ>教育課程、実態は<違う>子どもたち

赤木和重さんプロフィール
神戸大学大学院人間発達環境学研究科准教授。専門は発達心理学。2015年春から1年間、アメリカ・ニューヨーク州にあるシラキュース大学教育学部にて、客員研究員として所属。おもな著書に、『アメリカの教室に入ってみたー貧困地区の公立学校から超インクルーシブ教育まで』(ひとなる書房)、『「気になる子」と言わない保育』(共著、ひとなる書房),『キミヤーズの教材・教具ー知的好奇心を引き出す』(共著、クリエイツかもがわ)ほか。

僕(赤木)の専門は、自閉症スペクトラム(ASD)の子どもたちを対象とした発達心理学です。教えるという行為の発達を研究しています。たとえば、赤ちゃんの目の前で型はめのおもちゃで遊びます。私が、丸の穴に四角を入れようとして「はいらへん〜」とか言ってると、1歳後半の子は僕の代わりに自分で入れたり、そこじゃなくてこっちの丸の穴に入れろと教えてくれます。言葉が出てない子でも「あ、あ」と教えてくれるんですよね。ヒトに最も近いチンパンジーでも、助けることはします。でも、教えることはしません。自分の持ってる知識や技術をこんなに早くから伝えたくなるのはヒトならではの行動です。さらに2歳半になると、言葉を使って他者に問題を出すようになります。こんなに早くから、問題を出して、相手の考える力を引き出すなんてすごいですよね。

私が教える行為に注目したのは、「自分が自閉症の子どもやったら教えられてばっかりは嫌やなぁ」という思いからです。私たちは、障害の重い子どもや、1歳とか2歳の幼児には、1つ1つ教え込まないといけないと思いがちです。でも少なくとも僕やったら、24時間教えられる人生って嫌やな、と思います。でも、障害の重い子どもや幼い子どもでも教えることができること、そして、それが人間関係の主人公になれることを研究の中で示すことで、子どもの見方や教育の根っこを変える・考えることができるかな、と思っています。

さて、「<同じ>から<違う>へ、<分ける>から<混ぜる>へ」って聞くと、なんかええ感じな気がしますね。でも、よく考えてみると、ようわからへんなとも思います。何が同じなんか。違って混ぜたら、子どもにとって、なんかええことあるんですかね。

私は、巡回相談(*1)の仕事をしている関係で、幼稚園や小学校に行き、発達障害のある子や気になる子の支援をしています。その中で、子どもの実態は事実としてどんどん違ってきている現状を実感しています。子どもの学力や性格、障害を含めた特性、経済的に厳しい家庭で育つ子ども、外国籍の子どもなど本当に多様になってきています。でも、教育方法・教育課程(同一年齢、同一内容の学習を教える)は同じまま。

<違う>子どもたちという実態と、<同じ>教育方法・教育課程というズレ。このズレが、子どもたちをより生きづらくしています。さらに全国学力テストという、強烈ともいえる「同じ」評価が教室に持ち込まれてきています。こういう中では、どうしても排除される、はじきだされる子が出てきます。こうした厳しい状況に、悩んでいる先生も多いことでしょう。これからの教育・授業のあり方はどのように構想されるべきでしょうか。

<違い>をなかったことにする

子どもたちの実態が<違う>中で授業を進めるやり方は、大きくは2つの方向に分けられます。

1つは、「子どもたちの<違い>をなくす、あるいはなかったことにする」方法です。具体的には、枠を明確にすることで、子どもたちの<違い>の影響を小さくしようとします。その1つの例として「グーピタピン!」があります。試しにここでみなさんとやってみましょう。手を膝の上に置いて(グー)、足の裏を(ピタ)くっつけ、背筋を(ピン)伸ばす姿勢をつくります。「はい、グーピタピン!」・・・(そろった参加者を見て)うわ、なんかこれめっちゃ気持ちよくなる自分がいる(笑)。これやってる先生方は、どっかで気持ちいいと思ってるんちゃいますかね…。これ以外にも、「背」筋を伸ばして、先生の「目」を見、「手」を膝の上に置く姿勢をつくる「せ/め/て」、などが現場に広まっています。他にも、机の上の赤ペンの置き場所、消しゴムの置き場所、鉛筆は2本にするなどのルールを明確に決めて、どの子にも同じように机の上の持ち物を決めさせるような指導があります。

自閉症スペクトラムの子どもの中には、「ちゃんとしなさい」ということばの意味がつかめない場合があります。「『ちゃんと』ってなにをどうちゃんとするの?」となるわけです。ですので、机の上の持ち物や置き場所を明確に指定すれば安心して学習に向かえる、という指導者の意図があります。わからないでもないです。でも、ほんまにそんでええのかな?と思います。

<同じ>学習規律を求めれば求めるほど、逆に、子どものちょっとした<違い>が目につくようになります。校則が厳しい学校ほど、ちょっとした違反・違い(例えば、髪の毛が耳に2センチかかったのでダメ、とか)がクローズアップされますよね。あれと同じです。ちょっとした違いをなんとかしようとして先生が注意する。グーピタピンを強めれば強めるほど、ちょっと動いてしまう多動の子どもが、どんどん目立ってしまい、指導される対象になってしまう。子どもの<同じ>姿を純化させることで、むしろ<排除>のほうに進む危険性があります。

<違い>から出発する

子どもたちの実態が<違う>中で授業を進めるもう一つのやり方があります。それは、「<違い>から出発する」方法です。

子どもたちの知性や感性の<違い>を前提に、授業づくり、学級づくりをおこなう発想です。先に述べたやり方とは真逆といってもよいでしょう。「サラマンカ声明」というインクルーシブ教育の基準となる国際的な取り決めがあります。そこでは「人間に相違が見られるのは当然のことであり、したがって学習は学習過程の予め決められた枠に子どもを合わせるよりも、子どものニーズに応じて調整させなければいけない。児童中心の教育学はみんなにとっても社会にとっても有益」といった内容が書かれています。しかし、各々の子どもの興味や能力の違いから出発する方法とはどういうことでしょうか?なんかええ感じのこと言うてますけど、そんなうまいくこといくんですかね?

子どもたちの<違い>を大事にしながら

この問いを考えるうえで、僕が保育者とつくった本『「気になる子」と言わない保育』の中から、一つの実践事例を紹介します。

3歳の自閉症の男の子Aくんは、本を読むなど設定された場面では他の子と一緒に過ごせますが、自由遊びの時間になると、ずっと大好きなミニカーで一人遊んでいます。図鑑も大好きで気に入った箇所に付箋をはりまくっている、そんなお子さんです。保育者の気持ちとしては「一人で遊ぶのもいいけど、やっぱりみんなと遊ばないとあかんのかな?どうかなぁ…」と気持ちが揺れます。ハウツー本を見ると、このような場面では、「こだわっているものを隠しましょう」という対応が書かれています。確かに自閉症の子どもは視覚優位の側面があるので、目にしたものに引っ張られがちです。ミニカーを見ると、ついそれで遊んでしまうんですよね。二つ目のよくある対応は、「他の子の遊びに参加させる前に、友だちの遊びを見る機会をつくって、関心を寄せる支援をする」です。確かにこれでいい気もします。さて、みなさんがAくんの担当やったらどうします?

ちなみにこの本はいやらしいつくりでして、よくある対応を書いてから、それを批判します。そのうえで、読み手にどのような対応がよいか、判断を委ねます。先に述べたよくある対応を批判すると・・・ミニカーを隠さなあかんのですかね? Aくんはミニカーが楽しい。それなら、それでええんじゃないの。「違いから出発する」というのは、ここです。こだわりをなくさなきゃいけないの?ほんま? とはいえ、どっかで他の子とも遊んでくれたらいいな、という保育者の気持ちもわかります。また揺れてしまうわけです。

 

そこでポイントになるのが<混ざる>です。正確にいえば、<違い>を大事にしながら<混ざる>です。どういう保育を指すのでしょうか?

まず一人で遊んでいるAくんを見て、「また一人で遊んでるわ」ではなく「園でも自分らしく遊べるのはいいことやな」と理解します。そのうえで、「他の子と遊びなさい」と声かけるのではなく、保育者がその子のミニカーの遊びに入っていき、その子の好きな遊びを一緒にします。楽しく遊んでいると、間違いなくその気配を察知した他の子が、「何してるの?」と近づいてきます。一緒に遊ぶきっかけが生まれます。さらに保育は続きます。保育者が、隣で積み木で遊んでいた子どもたちのところにミニカーを走らせ、「積み木の町に到着でーす!」と言います。すると、積み木遊びをしていた子の一人が、「ここはガソリンスタンドでーす」とノッてきます。それを聞いたAくんは、「いれてくださーい」と言って、何度もミニカーで給油しにやってきて、一緒に遊んだりします。

このエピソードのポイントは、保育者が「ミニカー」と「積み木」という違う遊びを「積み木の町に到着」として遊びをつなげたところです。この保育園では、他の子と同じことをさせる発想がそもそもないし、Aくんだけ個別保育をしているわけでもありません。子どもの<違い>を出発点にしながら、「一緒に遊べば楽しいよね」という感覚で<混ざり>あっていきます。背景にあるのは、「一人ひとり違っていいんだよ。でも一緒に遊べばもっと楽しいよね」という保育観です。

もう一つ、学年や発達年齢が異なる子どもたち4人が学ぶ小学校・特別支援学級での実践を紹介します。このような構成の特別支援学級で多いのは、プチ家庭教師的授業です。子どもたちがバラバラに机を離して学び、先生が個別に関わる。それが悪いわけじゃないけれど、みんなで一緒に楽しい授業をする試みもあります。たとえば、この教室では算数の時間の冒頭10分間にローテーションカードという学習を全員でやります。出たカードの数字を読み上げます。ただ「5」のカードが出たら、「ご」とは言わずに「にわとりさん」など違うことばを言う学習です。先生があらかじめ、積み木を学んでいる子には積み木のカードが、掛け算を学んでいる子には掛け算のカードがあたるように配列します。すると、一人ひとり違っていながら一緒に学ぶことができます。なぜ5を別の言葉で言い換えるのかというと、楽しく学ぶためです。別の言葉で言い換えて半分遊ぶことで、学びにひきつける。この学級の先生の問いの立て方は、どうしたら問題行動がなくなるか?ではなく、どうしたら勉強が楽しくなるか?、なのです。

 

一人ひとり違って学んでいるけど、一緒に学ぶと楽しい。でもこのカードを先生と一対一でやると楽しくないと思いません?なんでかわからんけど、一緒にやると不思議と楽しいですよね。このように、<違い>がありながら<混ぜて>いく授業づくりの可能性がここにあると思っています(『キミヤーズの教材・教具』にその他の実践事例があります)。

<違って><混ぜた>ら、<同じ>

この2つの実践事例に共通することは、それぞれの子どもの興味関心から学びが出発し、学習内容はそれぞれ違っていいんだという発想です。同時に、その<違い>が孤立化になっていません。子どもどうし<混ざり>あっています。もっとも、「通常学級では、そんなん無理!<同じ>教育方法・<同じ>学習内容で溢れているやん!」と思われるかもしれません。確かに…。とはいえ、学習内容は同じという条件の中で、<違う>学び方を選べるという手法もあります。たとえば、石川 晋さんの著書『学校でしなやかに生きるということ』に登場する「合法的立ち歩き」が好例です。古文の暗記の授業で、石川先生が、生徒に「どこでどのように覚えてもかまわない」と伝えます。時間をかけていくと、1人が好きな子どもは、倉庫の中で覚えたり、よく動く子どもは友だちとおしゃべりしながら覚えるのだそうです。そして、最後に、お互いがどんな覚えかたをしたのかをシェアしていくそうです。この授業を通して、子どもたちは、<違う>学びかたでいいんだと実感しつつ、お互いの学びを参考に<混ざり>あっていきます。

しかし、そもそも、なぜ、<違う>に加えて<混ぜる>遊びや学びが大事なのでしょうか?一番の意味は、1人では想像しえないクリエイティブな学び・遊びが起きるところだと思います。「ミニカー」だけで遊んでいた子どもが、積み木で遊んでいる子どもと出会うことで、「ガソリンスタンドに車を入れる」遊びが創造されます。「合法的立ち歩き」の学びかたをお互いにシェアすることで、自分にはなかった新しい学びかたを学ぶことができます。つまり、予想外のことが生まれるんですよね。色んな<違い>が<混ざって>つながることで、思いもしなかったことが学べてしまう、遊べてしまうということに意味があるのかなという気がしています。

良質な<違い>と<混ぜる>があわさったあとに残るのは、「違って混ぜたら同じやな」という感覚です。その実感が、社会をつくる土台になりうるのです。困ってることは一人ひとり<違う>けど、「良い自分になりたい」「楽しい遊びはサイコーやな」という思い<同じ>。<違う>けど楽しいのは<同じ>だよね、とわかりあえることで、多様性を面白がる共同体をつくっていけるのかなと思います。


*1…巡回相談:巡回相談員と専門家チームが小・中学校などに訪問して、支援を必要とする児童生徒への指導内容や方法について教員および児童生徒の保護者に助言をおこなうこと。


<おすすめ書籍>

2019年4月からの「保育」について

2019年4月から年間を通じた2歳児~5歳児を対象にした「保育」をスタートします。

2020年4月からの開校・開園に先駆けて、長野県に届け出を行った上での「認可外保育施設」としての活動になります。

いわば、毎日が「かぜあそびの日」です。

定員、保育時間、保育料などの詳細については、現在検討中です。10月中旬発行予定のメルマガで概要や説明会の日程をお知らせする予定です。

詳細を決める上での参考にしたいと思いますので、2019年4月からの活動にお子さんの参加を検討したいという方は、以下のフォームからご連絡ください。


参加を検討されるお子さんの情報

名字
名前
名字(かな)
名前(かな)
性別
生年月日 (対象となるのは、2013年4月2日~2017年4月1日生まれのお子さんです)

現在通っている幼稚園・保育園があればご記入ください


保護者の情報

名字
名前
メールアドレス
連絡先電話番号

説明会に参加しやすい時間帯を教えてください。(複数回答可)


春夏のかぜあそびの日レポート

昨年のサマースクールに参加した幼児を対象にちいさく始めた「かぜあそびの日」は、季節をひと巡り。今年の4月からは居住地域に関わらず参加を受け入れたことで、ぐっと人数が増えました。月1回ではありますが、何度も参加している子どもたちの経験と安心は少しずつ積み重なり、初めて参加する子どもたちも彼らを通じて場と人に慣れ、あそびが広がったり深まったりしています。また、軽井沢風越学園が目指す「幼小中の混在」を視野に入れ、昨年度のかぜあそびの日から継続して参加している小学校1年生の子どもたち4名も、ジュニアスタッフとして幼児に混ざって参加しています。

春から夏にかけてのかぜあそびの日でのエピソードをいくつか紹介します。

春から夏にかけて、ぐっと背丈の伸びる草

コウタとコウジの大冒険

昨年度から参加のコウタは3月まで、一つ歳上のサクタロウにずっとくっついて遊んでいました。でも4月から小学生になったサクタロウは、幼児とは違う自覚ができたのか、同じ1年生のタイチと遊ぶようになり、この日のコウタはなかなか遊びに入れないまま。そんな時、スタッフとコウタで話をしていると、コウタが側にいたコウジのことを「この子がね…」と言います。スタッフが「名前わからないなら聞いてみたら?」とコウタに促し名前を尋ねると、「コウジ」という答え。「コウタとコウジ、名前が似てる!」と盛り上がり、ふたりで、川に探検にでかけました。川で虫取りに夢中になった二人。コウタには遊びなれた場所のはずなのに、「俺ら、どこにいるんだろう?」と言い始めます。すっかり迷い込んでしまった気分の二人は、コウタが先に歩き、コウジが後ろをついていきます。途中にある分岐を前に、「おれら探検隊だから、こっちでしょ!」とハードな道を選ぶコウタ。泣き言も言わず必死でついていくコウジ。しばらくして、見慣れた崖の壁を見つけると、「もう大丈夫!」と嬉しそうな一言をあげました。遠くから他の子の声が聞こえてくると、「みんな、おれらを探しているのかもしれない。」、「おーい、おれら帰ってきたよー!」と叫ぶ二人。実際はほんの数十分の出来事でしたが、二人にとっては、何時間もの大冒険だったようです。

子どもたちにとって色んな冒険の場となる川

ユリカとマイの秘密基地

草の背丈が伸びてくる季節。少し奥まった敷地で、朝から小1のユリカとマイが秘密基地づくりを始めました。すだれのようなものをかけ、木のそばにテーブルを運んで、お気に入りの場所をこしらえました。お昼ご飯時には、おもしろそうな気配を感じて、自分たちもここでお弁当を食べたい!と近づいてくる幼児たち。ユリカとマイは加わった幼児たちに、秘密基地の周りに落とし穴を掘ってね、と声をかけます。役割をつくって遊びを発展していけるのは、小学生ならでは。先の見通しを持って考える、工夫する、役割を分けるといったことは、幼児だけではなかなか起こりません。ちなみにユリカとマイも、昨年度から参加しているメンバー。最初はなかなか自分のやりたいことや思いを口に出せずにいたマイは、回を重ねるごとに自分から遊びの提案をすることが増えてきました。そんなマイにユリカがポロッと、「マイちゃんってそんなキャラだったっけ」と一言。子どもたち同士でもそんなふうに思うほどに、毎回違った姿が見られます。

秘密基地に運び込んだテーブルでお昼ご飯

子どもルールのスイカ割り

この日のおやつはスイカ。「スイカ割りやるよー」、といって子どもを集めるのではなく、「スイカ割りできるけど、やりたい人いる?」とスタッフが差し出すように呼びかけます。やりたい子どもたちが集まって、自然に男子チームと女子チームの2つに分かれました。スタッフからやり方やルールを話さずに少し様子を見ていると、自分たちで考えて並び、一人ずつスイカの前へ。男子はとにかく気のむくままに。バットの反対側でスイカを叩く子もいれば、空手のチョップでスイカに挑む子どもも。一方の女子は、王道のスイカ割りスタイルをみな繰り返し、見事に先に割れ、食べ始めます。男子は女子が食べ終わる頃に、ようやくスイカにありつけました。大人が決めたルールを伝えなくとも、子どもたちは自分たちで考えて、目隠しするかしないかはその人自身が決められるなど互いに心地よいルールを探し出します。自分たちのスイカ割りを大盛り上がりで楽しんでいました。

「えいっ」

関わりの中で大事にしていること

かぜあそびの日では、おおまかな流れはあるものの、決まったスケジュールがあるわけではありません。その日、その時に子どもたちがやりたいことをやりたいように過ごしています。なかなか遊びに入っていけない子どもがいるときも、無理に遊びに誘導することはせず、遊べない状態につきあっています。昨年夏のサマースクールから一緒に保育をスタートしたかぜあそびの日のスタッフ。そこから月に一回のかぜあそびの日の経験を、子どもと同じように積み重ね、お互いを理解し少しずつ関係を築いてきました。スタッフで事前に綿密に打ち合わせて、一日の計画をしっかり立てるということはありません。大人が手を出し過ぎていないか。大人が先回りしていないか。今この時間や経験が、子どもたちが主人公になっているか。これらのことは、どのスタッフも意識して、スタッフそれぞれの違いを活かしながら、子どもたちと関わっています。

たとえば、お昼に豚汁を鍋からお椀によそうシーン。子どもに自分でよそうか、よそってほしいか。お椀を自分で持っていけるか、持っていってほしいか、子どもに確認します。たとえば、かくれんぼが始まってすぐ号泣している年少のショウゴ。訳をきくと、「ぐとぱでわかれましょ」の意味がわからなかったとのこと。すると、近くにいた小1のタイチがすぐに、「ちょきはだしちゃだめで、ぐーとぱーで同じになった人がグループにわかれるんだよ」と説明してくれて、ショウゴは落ち着いてまた場に戻っていきました。

大人がやったほうが早いこと、伝えたほうが早いこともたくさんあるけれど、子どもが自分でやるからこそ、子ども同士の関わりだからこそ、積み重なる経験や残る気持ちがあります。

一日の終わりは絵本

フィールドを知り、人を知っていくと…。

9月から秋のかぜあそびの日がはじまりました。昨年度から参加している子どもたちは、四季を通じて「鳥井原の森」を身体全体で味わっています。最初の頃は10人くらいのちいさな集まりだったのが、ここ数回は30人以上の参加。ちょっと雰囲気も変わってきたかもしれません。継続して参加している子どもの一人は朝出かける前のお家で、「なんか、まえと、ちがうんだもん…」と、ぽろりと気持ちを言葉にしたそうです。この気持ちの底にあるもの、言葉の出所ってなんだろう…、とスタッフミーティングで話題になりました。10人でも30人でも、大切にしているものを変わらずに大切にするには…。まだまだ試行錯誤は続いています。

スタッフの一人がこんなことを呟きました。「フィールドを知り、人を知っていくと、どんどんやりたいことが増えてくる。」この感覚、大人も子どもも同じなのかもしれませんね。次は、どんなことがやりたくなるかなぁ。