子どもたちと、哲学探究

哲学者・教育学者、苫野一徳。熊本大学教育学部で教員養成に携わる傍ら、軽井沢風越学園設立準備財団の創設当初から関わっています。苫野の著書『教育の力(講談社)』を読んだ岩瀬と本城は、その考え方をベースに学校づくりを始めました。教育とは何か、そしてそれはどうあれば「よい」といいうるか、という原理的テーマの探究を軸に、これからの教育のあり方を構想しています。

ーどんなふうに軽井沢風越学園の設立準備に関わることになりましたか?

2014年に、ある講演会で登壇した時に、同じく登壇者だった岩瀬さんと初めて会いました。それまでも色んな人から岩瀬さんについて、自著である『教育の力』を読んでくださって、その実践の土台ができつつあると聞いていて。実際にお会いしたらすっかりファンになって、授業見学に行かせてもらって衝撃を受けました。僕が本で書いたことを、僕が考えていた以上に深めて、実践していることに感銘を受けたのを覚えています。

2016年に、講談社が始めた社会人講座を受け持つことになった時に、ぜひ岩瀬さんとやりたいと声かけしたら、快く引き受けてくれて。「教師の学校」という5回の講座の期間中に、本城さんと学校を創るという話を聞いたんです。初めて聞いた時は、はー、すごいプロジェクトがあるもんだなぁ、これは日本の教育が変わるきっかけになるなぁ、と聞いていました。「『教育の力』で書いたような原理を学校の土台に考えていきたいので、一緒に学校を創っていきませんか?」と声をかけていただいて、学問的な原理的な部分を支えられればいいなと、当初からなんとなく思っていました。

より良い公教育に向けた緩やかなネットワークを拡げたい

ー最初の頃と今とでは、気持ちの変化がありましたか?

最初と今とでは、気持ちのボルテージが全然違いますね。ミーティングするうちに、どんどんワクワク感が増してきています。最初に関わり始めた時は、軽井沢で開校するということすら決まっていなくて。色々なことの具体性が増してきて、自分の中でリアリティが出てきました。軽井沢風越学園を一つのきっかけにして、日本の教育がよりよく展開していくようなモデルにしていきたい、というのが一番の思いです。『教育の力』を書いた後に読んだ人たちから、言っていることは理想だが現実的には無理だ、とすごくいっぱい言われて。でも実際は制度的にも可能だし、実践家がたくさんいるし、できるんですよね。モデルを見てみたい、ともよく言われていたので、軽井沢風越学園に研修・研究機関ができるのは、僕自身も本当に楽しみです。

いわゆる外から遮断されたお城のような学校を創るのは良くないと思うんです。数年経って城を守ることが目的化してしまって、内容が理念に伴わなくなる、というのは残念。そうではなくて、いい緩やかなネットワークを拡げるための大きなきっかけ、みたいな気持ちで学校を創りたいと思っていたら、他のメンバーも僕以上にそういう気持ちが強かったので、そこも魅力に思っています。

メンバーは、本当に異なる能力を持った人たちが集まっていて、純粋に楽しい。僕は本当はチームプレーが得意でもないし好きでもない、できればずっと一人でいたいタイプ(笑)。でもこのチームでは、自分の能力や仕事に集中していればいいというチームプレーが気持ちよくて、完璧に全員を信頼できる。そういうところが、純粋に楽しいですよね。

原理を共有しているからこそ、前進できる

ーお互いの力をきちんと発揮して、信頼し合える実感というのは、どんなふうに積み重なってきたと感じていますか?

まずは、話をしているときの感じ、ですよね。ミーティングのやり方、プロセスの共有のされ方。いい感じの無駄がありつつ、無駄がない感じ。本質的なところを捉えながら、みんなが同じ方向を向いている、一緒にビジョンを創っている…。やっぱり、原理的な部分を共有していることは大きいと感じています。この感覚があるので、安心して前に進めるんですね。教育論って、信念とか信条によって、それぞれで不毛な争いが起きやすい。軽井沢風越学園の場合は、なんのためにやるのかっていうのがクリアで、そのうえで建設的な議論ができる。僕がいつも言っているのは原理がわかれば、その次にどうすればいいかわかるんですけど、それにもいろんなアプローチがあって。実現するための色んなアプローチを、チームメンバーみんながそれぞれ絶妙に、バラバラな強みを持って動かしている実感があります。

子どもたちと、とことん哲学対話

ー苫野さんが子ども時代、学校の凝集性に疑問があったり、みんなと同じでなければいけないという空気が心底いやだったとのこと。もしも同じような子どもと出会ったら、どんなふうに関わりますか?

こちらから積極的に働きかけるかはわからないんですけど、僕は常に哲学の話をし続けようと思います。先日、島根県の海士町を訪れて高校生を対象に講演しました。すごく熱心に聞いてくれて、翌朝のフェリーの出発までに興味のある人がいれば哲学対話をしましょうと呼びかけたところ、なんと30人くらいの高校生が集まってくれた。そして、切実な問題意識をたくさん出してくるんですよ。「無とは何かを考えたら寝れなくなるんです」とか、「恋ってなんでしょう」、「本当の友だちって?」、「生きる目的って?」などなど、本当に切実で実存的な疑問。切実なんだけど、毎日の学校ではなかなかそんな話を真剣にできない。こういう話をしてもいいんだ、ようやくこういう話ができた、という声がたくさんあった。

なんとなくみんなと同じように馴染めない子って、ものすごく深い問題意識を持ってると思うんですよ。その問題意識に一緒につきあって対話して、さしあたって最適な解や考え方を一緒に出したい。とことん対話しようぜ、という感じです。そういう人は、ほっとけないですよね、大好きです。

「信頼・承認」の空間に満ちた学校を

ー軽井沢風越学園の核である<自由の相互承認>の感度について、どんな大人の関わりや働きかけによって、この感度を育むことができるでしょうか。

他者を認めることができる前提として、自己承認があります。この自己承認がないと、常に不安が先に立ってしまい、他者を認めるどころか攻撃的になってしまいます。僕は、「自己肯定感」という言葉をあえて使っていなくて、なぜなら肯定ってすごく強い印象がある。自分は自分でOK、くらいがいいなと思っています。そして自分でOK、と感じられるためには、やはり人から承認される・信頼されるという経験がいるわけです。教育の現場は、信頼・承認の空間の、最後の砦である必要があります。もちろん、できればその子の親が信頼・承認の存在であればいいですが、そうもいかないケースもある。したがって、学校や保育が、そうした現場であることが求められていると思います。

軽井沢風越学園では、まず教員全員が”ここは信頼と承認の場である”と認識しているということが前提です。間違っても、存在否定をしてはいけないということを全員が根本に据えるということが、まず一つ。むやみやたらと褒めまくる必要はなく、ただただ、そこはかとなく承認と信頼の空間になっている、というのが重要です。

もう一つが、学び方や空間の在りかたです。「同じから違うへ、分けるから混ぜるへ、」をベースとした多様性が当たり前な環境の中で、必要に応じて助け合いながら、自己主導の学びが保証され、一人ひとりが尊重されている状態。こうした様々な環境整備が、なにより相互承認の感度を育てる土台になります。一人ひとりが大切にされてるなと思うこと、自分も尊重されてるし、人のことも尊重していいな、自分の力を出せるし、助けあえるなという雰囲気をつくれば、自由の相互承認の感度は自然と育まれると思っています。

ーこのような学校づくりが現実的には無理だと言われてしまう、信頼と承認をベースにできない理由はどこにあるんでしょう?

たいていの原因は、学年学級制と一斉カリキュラムが前提となっているからだと考えています。みんなと一緒に行動することが基本になると、教員は集団をまとめる・管理する方向に動かざるを得ない。相互承認ではなくて、集団管理・集団行動ができることが評価軸になってしまう。そこが最大のネックですよね。自己主導の学びを軸にして、ゆるやかなつながりをベースにした学習環境となれば、管理する必要がなくなります。そういう構造で学校を運営するのが大事。既存の学校のシステムでは、教員はどうやって今の学級の子どもに言うことを聞かせるか、という思考になりやすい。これは教員が悪いというのではなく、子どもを従順させないとまわらない、そういうシステムになってしまっていることが問題なんです。

ー10年後のビジョンを聞かせてください。

軽井沢風越学園のモデルが、日本の学校の当たり前になってる状態を目指すために、自分が何ができるかを考え続ける10年でありたいと思います。研修・研究機関には、かなり興味があるので、これをどうするか早くみんなと話し合いたいです。軽井沢風越学園の実践を研究して、もっとより良いものにするにはどうすればいいか、さらに水平展開するにはどうすればよいか。研修・研究機関を通じて多くの人に知ってもらい、みんなでどうすればよりよい実践になるのか考えたい。10年後は、全国の新しい当たり前の学校に、当たり前の教育になっていることを目指していきたいです。ただ教育学者としては、それはもう自分にしかできない仕事ではないので、共同研究としての大きなテーマですね。

教育学者、あるいは哲学者としては、次の社会構想のための哲学原理を50、60歳までに見つけたいですね。そしてその哲学探究をするうえで、軽井沢風越学園がインスピレーションの源になる気がしています。

(2017/6/26 インタビュー実施)