カリキュラムの3つの軸

軽井沢風越学園って、どんな学校?ということを考えるときに、僕たちはまず情景を描いてみました。同じ言葉でも、人それぞれによってそこからイメージする映像は違うと思ったからです。
この情景を描くときに、3つのカリキュラムの軸を立てました。1つ目が、“自己主導の学び「わたしから始まる」”、2つ目が、“協同の学び「わたしたちで広げる」”、3つ目が“探究の学び「わたし」と「わたしたち」で深める”、です。

“遊びひたる”を大事にする学校づくり

“自己主導の学び「わたしから始まる」”とは、学びが子ども自身からスタートする、ということです。情景を描きながら一番に思ったことは、学校が子どもにとって幸せな場所になってほしいな、ということでした。学校から家に帰ってきて、「あー、今日も楽しかった、明日も楽しみ!」と子どもが話せる学校にしたい、という思いが僕の根っこにあります。

幼稚園や保育園でたっぷり遊んで生活していた子どもたちは、小学校1年生の4月を境に突然、ずっと座っている生活に変わります。小学校4年生になる僕の娘は、比較的自由な保育園でたくさん遊び、小学校をわくわくして迎えました。何日か過ぎて驚いたように、「お父さん、学校ってね、ずっと座ってるんだよ。どんなに天気がよくても、座ってるんだよ。」、と話してくれました。
僕たちは、「学校はそういうものだ」と思いこんでいるけれど、子どものそれまでの育ちから考えると、遊びから離れてずっと座っていることは、ものすごく不自然なことなのかもしれません。遊びこそ、子どもにとっては自己主導です。遊ぶ中で新しいものに出会って、不思議だな、なんだろう?と思ったり、友だちと一緒に遊ぶことで、協同のおもしろさ、難しさ、折り合いをつけることの大変さ、など色々なことを感じます。幼児だけでなく、小学生、もしかしたら中学生も、身体を通して遊ぶこと・体験することが大事なのではないでしょうか。本当は遊びまでを学校が担わなくてもいいのかもしれません。でも、今の子どもたちの生活のほとんどは学校です。遊ぶ環境も時間も仲間も限られている中で、子どもの育ちの観点から、学校の中で遊ぶということを、もう一度丁寧に考え、”遊びひたる”、を大事にしていきたいと考えています。

“学びひたる”を助ける自己主導の学び

同時にもちろん、”学びひたる”ことも大事だと考えています。では、学びひたる、学びに没頭するとは、どういう状態でしょうか。実は学校の学びの中で、子どもたちが自ら学ぶ場面は、ありそうで、少ないです。たとえば算数では次に習う内容が決まっていて、先生から出された問題を順に解いていきます。みんな同じように学んでいるようですが、よく教室を眺めてみるとそうではなさそうです。おおよそ3分の1くらいの子どもたちは「よくわからない」。でも、習ったことはわかっているという前提で授業が進むので、それぞれに戻ってやり直す時間は授業の中にありません。3分の1くらいの子は、授業内容と理解がぴったりで、「わかった!」と過ごせます。残りの3分の1の子どもたちは、「とっくにわかって」いて、知っていることをまたやるのか、という感じ。だいたいのイメージですが、もしかしたら教室ではこんな状況が起きているかもしれません。大人も子どもも、人それぞれ学ぶペースや学び方は違います。学校の学びは、子ども一人ひとりの学ぶペースや学び方に合わせて変えられるんじゃないか、という仮説から始まったのが、”自己主導の学び”です。そして、僕はこれまでの実践で、変えられることを体感してきました。

自己主導の学びの中でわからなくなった時に、自分一人では解決できないことがたくさんあります。そこで大切なのが”協同する”、人と一緒に学ぶことです。ここを教えてほしい、ちょっと助けてほしい、と気楽に言いあえる体験やコミュニティがあれば、人はどんどん自分から学んでいく力があると考えています。ただ、実際の教室の人間関係は、ものすごく狭いです。僕の娘が小3のときに聞かせてくれた学校の話の中に出てくる友だちの名前は、2人だけでした。朝から放課後まで、休み時間はその2人の友だちとだけ一緒に過ごしています。授業の中で、友だちとコミュニケーションをとる時間はありません。
学校の中で、このように小さい単位のコミュニケーションしか起きていないことは、よくあります。だからこそ僕たちは意識的に、”混ぜる・混ざる”環境を創りたいと考えています。色んな年齢の子ども同士が関わりながら、全然違うんだ、と体感する機会は、ほっておくとなかなか生まれません。でもそういう機会さえあれば、わからないことを中学生に聞いてみよう、という行動が始まるかもしれない。同学年だとわかる・わからないがはっきりして、比べる視線が自分に刺さって苦しいという子どもたちも、学年が混ざっているから違うのもわからないのも当たり前、という学校の文化にしたいと思っています。

「わからない」を支える”協同の学び”

以前、僕が担任していた子どもの中に、Aちゃんという女の子がいました。算数と読書がすごく苦手で、算数の時間になると、わからないことが恥ずかしく、ノートを隠して勉強していました。僕は、わからないことは大事だから、お互いにサポートしながらやろうよと言っても、彼女はなかなか友だちにも訊けない。下の絵は、僕の著書「きょうしつのつくりかた」にある1ページです。真ん中に、どうしたらいいかわからず身動きのとれないAちゃんがいます。その上には、算数の教科書を見ながら溺れているAちゃんの姿。でも一番左のAちゃんには、周りの友だちがわからないことを聴き合って、わかった!よかった!という姿が見えています。

イラスト 荻上由紀子

そうしたある日、自分もちょっとだけ訊いてみようかな、とうっかり隣の男の子にわからない算数の問題を訊いたAちゃんが、右下です。するとその男の子がすごく優しく教えてくれて、ちょっとわかった。しかも、わからないことを、ちっとも馬鹿にされなかった。訊くことが恥ずかしくなくなった彼女は、そこからぐっと変わりました。自分ができるようになっていく感じを実感して、やったらできるんだ、それも人の力を借りたらいいんだ、という気づきを得たのです。

Aちゃんは家庭科がすごく得意で、家庭科の授業では大活躍です。算数の得意な男の子は、家庭科がすごく苦手で、例えば開かないナップザックができてしまう。その彼を、家庭科の時間はAちゃんがサポートしていました。そうか、サポートし合えばいいんだ、ということがわかって、自分の可能性への信頼と他者への信頼の両方が生まれます。自分が困ったら友だちが助けてくれるし、もしかしたら自分も友だちに貢献できるかもしれない。こういうことを日々の学校の中で体験できる”協同の学び「わたしたちで拡げる」”を、軽井沢風越学園では大事にしたいと考えています。

下の絵は、同じく「きょうしつのつくりかた」から抜粋した実際の授業の様子です。

イラスト 荻上由紀子

一人ひとり集中して学び、必要に応じて他者と関わっています。学ぶ内容によって、子どもたちの中で色んな関係があるようで、授業ごとに座る場所が変わります。同じ授業の中で、国語のテストをしている子どもの横で、理科のテストをしている子どもがいることもあります。違う教科のテストを同時にやっているのは、変わった風景かもしれません。テストは評価のためのものとして考えがちですが、自己主導の学びに慣れた子どもたちにとってのテストは、自分のわかり具合を確かめるためのものです。そろそろわかってきた頃に、テストをやってみる。あぁ、ここはわかってなかったな、と確認するためにある。だから隣の友だちが違うテストをやっていても全然平気だし、カンニングし放題だとしても、しません。それをすると、自分がどこまでわかっているのか、わからなくなるからです。

また、僕のクラスの子どもたちは、毎週学習計画表をつくっていました。一週間でどんなふうに自分が学ぶか計画を立てて、学んでみてふりかえって、来週はどうしようか考えます。もちろんいきなりうまくはいきません。何回もやってみて、ふりかえって、失敗して、と繰り返していくうちに、こういうやり方で学ぶのが学びやすいんだ、ということを自分の力にしていきます。

これが、僕たちが軽井沢風越学園で実践していきたいと思っている学びの情景です。自己主導の学びでは、やりたくないことはやらない子がでてきませんか?と聞かれることがあります。一概には言えませんが、やりなさい、と言われるから、やりたくないことはたくさんある。軽井沢風越学園でも学ばなければいけない指導要領はありますが、学び方やペースを子ども自身が選び、自分で計画して学ぶと、驚くほどに自分でやれるようになります。自分の学びに責任をもつことはすごく大事で、学びの根っこになるのです。

12年間通じて深まる”探究の学び”

最後に、“探究の学び「わたし」と「わたしたち」で深める”うえで大事なことは、幼稚園・小学校・中学校の間にゆるやかな繋がりがあることだと考えています。通常はどうしても、幼稚園と小学校の間、小学校と中学校の間に子どもがびっくりしてしまうような文化の差があります。そうすると、子どもたちはその度に学び方を変えなければいけません。そうなると、自分の学び方や、自分がどこまでわかったかが積み上がりにくくなってしまいます。そこで軽井沢風越学園では、12年間を通じて同じ文化でゆっくりと育ちに寄り添っていきたいと考えています。時間で区切られるのではなく、じっくり先生たちと関わることで、子どもたち自身が学びたいことを深めていくことを大切にします。

具体的にどういうことか。ある男の子はロボットが好きで、身近にあるもので、トイレットペーパーの芯や紙コップでロボットをつくりました。これも、探究への入り口です。すべての関節が曲がり、自立して片足でも立てるという、すごいクオリティのものができました。ただこれだけだと、どうしても大人は本当に学びになってるの?、ただ遊んでるだけなんじゃないの?、という気になってしまいます。ここからどんなふうに学びを展開していけるか考えてみましょう。

たとえば、ロボットをつくるための柔らかくて丈夫な素材はなんだろう、と探究が進んでいくことが考えられるでしょう。「かっこよくするには?」とデザインを学び始めるかも知れません。二足歩行させたい時は重心をどこにどうとるか、ロボットと人の身体はどう違うのか、人の身体の仕組みはどうなっているかと科学の内容にも広がりがでてくるでしょう。「ロボットを動かしたい!」とプログラミングやギヤの制御へと探究を深めていくこともありそうです。「そもそも人間との違いってなんだろう?人の心ってなんだろう?」という哲学的な探究もはじまりそうです。ロボットと人が共存するにはどうすればいいんだろう?そういえば、この間読んだアシモフの『わたしはロボット』という本の中でロボット三原則ということを書いてあったなあ、など、一つの探究から、学びはぐっと広がり、深まっていきます。学習指導要領で示されていることを学んでいけるだけでなく、どんどんその先まで学んでいけるのではないか。僕たちはそういう探究の学びを自己主導とともに学びの核にしていきたい、そしてそれを支えるのが協同だと思っています。

このように、まずは子どもが自分の学びのコントローラーを自分で持つ、大人が握って動かすのではなく、子どもたち自身で動かしてみることが、学ぶうえで何より大事だと僕たちは考えます。先生が、何を「教えた」のではなく、子どもたち自身が何を「学んだ」か。自分がどれだけ理解したかを自分でわかることを大事にすることで、「自ら学び続ける人」を目指します。軽井沢風越学園を卒業して大人になっても、学びたいことを自分自身で計画できる。一人で解決できない時は、誰か・何かの力を上手に借りながら学んでいける子どもたちを育てていきたいと思っています。

では具体的にはどんなカリキュラムになるのでしょうか?どんな校舎になるのでしょうか?このメルマガやホームページを通じて、これからの軽井沢風越学園を創っていくプロセスを、みなさんと共有していきたいです。

(岩瀬直樹)