軽井沢風越学園設立に繋がる3つの出会い

このエッセイは、4月14・15日に軽井沢町で開催した「地域の皆さま向け説明会」での本城の説明から抜粋し再構成して作成しました。

学校づくりが始まるまで

実は、このプロジェクトが始まったのは2016年の6月です。まだ1年経っていません。

2016年の正月に、やっぱり学校をつくりたいと思い始めたんですね。正月ってそういうときですよね、なんかね。40歳半ばになり、人生もあと半分とか考え始めたりして…。「学校つくります!」と宣言して、三木谷さんと2人で創業した楽天を辞めたのが30歳の時。それからいろいろな経験もできた。でも、結局は学校をつくれてはいない。僕の中で覚悟が決まっていなかったんですね、きっと。それが、ふと「つくろう。」と思えたんです。でも、そう思った後、「本当に学校つくるのか?けっこう大変だぞ…。途中で投げ出せないぞ。」と結構悶々としていて。

学校つくるんだったら、岩瀬さんとやるしかないと思っていたけれど、そんなに親しいわけではない。その時点では2回くらいしか会ったことがなかったので、「一緒に学校つくろうよ!」、と簡単に声をかけられる関係ではありませんでした。慎重に慎重に、何度も書いては消し、書いては消しを繰り返して、4,5ヶ月かけてやっと一通のメールを送ったんです。「思い切ってメールを書いてます。」って書き出しでね。2時間くらいで「ご無沙汰しております!岩瀬です。お元気ですか?」という感じで返信きてね…。ほっとした。そして岩瀬さんのメールの最後に「なんだかドキドキがとまりません。」と書いてあって、そこから僕もドキドキしちゃって(笑)。

そこからたくさんメールのやりとりしました。その後、岩瀬さんと会ったのが2016年6月22日。2人とも著書読んでいて、その主張に心底賛同していた苫野さんにも声をかけ、加わってもらうことになり、3人で会ったのが9月です。そこから、色んな思いをつめていって、12月に軽井沢風越学園設立準備財団を設立、今年の2月にプレスリリースを世の中に発信して、採用をスタート、新聞にも載り始め、少しずつ問い合わせがきているところです。

設立準備、正直言って、すごく楽しんでます。これまでの学校づくりは、一人のカリスマみたいな人が、ぐいぐい引っ張る学校づくりが多いなと思っていますが、でも僕らは違うな、と。チームとして動いているという実感がある。一人のカリスマがつくるのは、一人で自転車をこいでいるような、ハンドルもブレーキも一人でバランス取って走る感じだと思います。僕らはそうではなく、何人かで、僕はハンドルね、じゃあ僕タイヤね、私はエンジンね、じゃあブレーキやるね、と分け合いながら進めています。得意分野も不得意なところも、専門分野も違います。そういったところをお互い活かし合いながら、今まさに学校の準備をしているところです。すっごくおもしろいです、このチームで学校をつくるというのは。

学校をつくろうと思った理由

僕は、30歳の頃まで楽天株式会社にいました。楽天を三木谷さんと二人で立ち上げて、副社長をやっていろいろな経験をしていたんですけれども、30歳になった時に辞めました。辞める時に何を思ったかというと、学校をつくろうと思ったんです。

経営者の大きな仕事って、次の社長を育て、社員が育つ環境をつくることだと僕は思っています。それを社会に置き換えると、次の社会の担い手を育てること。そこで教育の世界に飛び込んでいこう、学校をつくろうと動き始めたんです。全国各地のいろんな学校や教育現場、アメリカの学校も見たりしました。そして、つくりたい学校は右から左、上から下、色んな形にどんどん変わっていきました。というか、ぶれていきました。色んな学校や幼稚園を見ると、ここはいいな、ここは真似したいな、と迷いが出ちゃうんですね。軸が定まっていない時期が長く続きました。

軽井沢風越学園としての学校のイメージの軸が定まったのは、3つの出会いが大きかったかなと。この3つの出会いがあったからこそ、こんな学校をつくりたいと確信が持てました。

岩瀬直樹のつくる教室との出会い

1つ目の出会いは、岩瀬直樹とそのクラスです。2008年に僕は、当時どんな学校にしようかなと思っていた時に、ある人から岩瀬直樹という人が埼玉の狭山市で小学校の先生をしていて、けっこうおもしろいと聞いて、彼の授業とクラスを見に行きました。衝撃でした。

それまでもいろいろな授業を見学したり、教室を訪問していました。先生が黒板の前にいて、子どもたちが先生の方を見る。そして、なんか先生がいい導入や発話をして授業が始まるわけです。いろんな道具とかつかったり、工夫したりして。そして子どもたちはぐっと引き込まれる。ぐっとクラスが一つにまとまっている感じもするわけです。

岩瀬の授業は、そういう様子とは違いました。教師である彼は黒板の前にはいない。静かにうろうろしている。子どもたちは、互いにやりとりしながら、それぞれのペースで学んでいる。一人で黙々と取り組んでいる子もいれば、教え合っている子どもたちもいる。まとまりがいい、団結力があるというよりも、1人ひとりの子どもの在り方が認められている感じがしました。とても居心地がよさそう。

あ、これか!、こんなのありなんだ。やりかたによっては、こうなるんだ。たぶんこれからの授業や学びは、ここで展開されているような方向に変わっていってほしいな、変わっていけるんじゃないかな、これがこのクラスだけでなく学校全体に広まれば世の中はもっとよくなって、学校は楽しいものになるな、と思いました。その後、岩瀬とのやりとりはずっと途絶えたんですが、この時の出会いは僕の中にずっしりと残っていました。

森のようちえんぴっぴとの出会い

2009年に、もう一つの出会いがありました。僕は2009年に全寮制の中高一貫校をつくろう、世界で活躍するようなエリートを育てよう、という思いで軽井沢に引っ越してきました。ぶれていた感じの時代です(笑)。家族で引っ越してくるにあたって、自分の子どもの幼稚園や保育園を選ぶときに、「森のようちえんぴっぴ」に出会いました。2009年4月から保育者として関わり、今も運営に関わっています。

僕が見学したのは2009年の1月下旬、雪がたくさん降ってすごく寒いとき。2,3歳の子どもたちが、しっかりとスキーウェアを着こんで、遊具もない森で遊んでいた。僕は北海道出身なので、雪で遊ぶイメージがあったのもあって、子どもを入れるんだったらここかなぁと思って見ていました。お昼ご飯の時間になって、みんなで焚き火を囲んで、寒いので立ったまま食べていた。食べるにあたって、子どもたちが手袋をはずして、焚き火の周りに置いたんですね。その中の3歳になったばかりのひさみちくんが手袋を置いた場所は、明らかに焚き火との距離が近い。それを見て、何かが起こるなと思ったんですね。思ったんですけれども、そこで保育をしているスタッフは、「もっと遠くにしなさい」とか声をかけないし、手も出さない。そうしたら案の定、ぷすぷす手袋がこげちゃったんですね。で、ひさみちくんは泣いてる。僕がスタッフに、「やっぱり焦げましたね。」と言ったら、スタッフは、「そうですね、焦げちゃいましたね。でも先週ひさみちくんは燃やしちゃったんですよ。」、と言われて…。それに僕はすっごくショックを受けたんです。ひさみちくん、先週は燃やしたけど、今日は焦がすので留まった。学んでるわけですね。でも2回とも失敗ですよね、手袋はだめになっちゃった。だからこそ学んでいる。そうか、こんなに安心して失敗できる環境があるんだ。保護者とっては、手袋が2つだめになってるわけですから、「どうしてちゃんと見てくれないんですか!」、とクレームになる場合もある。でも、そうはならない信頼関係ができている。失敗を見届けられるようなスタッフの心構えとか態度に触れて、僕自身が考えていた全寮制の中高一貫でエリートを育てるというのが、すごい薄っぺらいもの、なんか工場みたいに思えました。6年間で、“同じ形の同じ甘さのりんご”をたくさんつくる。たくさんつくって、なるべく高く売る。いい大学、いい就職先へ…、みたいな学校を当時つくろうとしていたんだな。ここはそうじゃない。花や実の部分よりも、しっかり根っこの部分を、その子らしく深く広く根が張れるように、台風が来ても雪が降っても簡単には倒れない根っこの部分を育てているんだな。ここはすごい、と。そして、なんと自分の子どもはぴっぴには入れずに、僕だけがスタッフとして入りました。これ、周りには驚かれますね(笑)。ぴっぴと出会ったこと、そこでたくさんの経験をしたことはまさに僕の根っこの部分を育ててくれました。たっぷり遊ぶことは、たっぷり学ぶことにつながり、たくさん挑戦をして色々失敗をしながら、子どもは学んでいくんだ、ということを感じた出会いでした。

「教育の力」との出会い

3つ目が、苫野一徳の「教育の力」という本との出会いです。2014年に出版されています。彼はここで「そもそも教育は何のため?」という問いに対して明確に”答え”を提示しています。「すべての子どもたちに〈自由の相互承認〉の感度を育むことを土台に、この社会で〈自由〉に生きられる力を育む」、このことこそが学校教育の使命なのだと。この本に出会い、どんな学校をつくるかというときに、やり方や手法ではなくて、使命をしっかりと捉えて学校をつくることが大事なんだと思い改めました。

苫野が深めている学校教育の使命や理念、そして岩瀬が積み重ねてきた実践、僕の幼児教育の実践と楽天の起業の経験。それらがかみ合わさった学校をつくっていきたい。3人の得意な部分を活かしながら、これから関わるたくさんの仲間の力を借りて、互いに活かしていきながら、軽井沢風越学園という学校をつくっていきます。

(本城慎之介 談)